司法修習生向け犯罪被害者支援研修の指導担当を務めました

2日間にわたり、司法修習生向け犯罪被害者支援に関する研修の指導担当を務めました。

司法修習生は、司法試験に合格して約1年間の研修(司法修習といいます)を受ける法曹の卵です。
今回、東京の修習生向け犯罪被害者支援に関するプログラムの指導担当の一人として携わる機会がありました。

初日午前は、ある事件の被害者遺族の方のお話し、午後は被害者支援都民センターの見学と講義。
2日目午前は、被害者参加制度・損害賠償命令制度の講義、午後は被害者からの法律相談のロールプレイ。

私はこのロールプレイの指導を主に担当しました。修習生が相談者役、現役の弁護士が弁護士役として、架空の事例を元に法律相談を行うというものです。

修習生たちは積極的に取り組んでいましたが、講義などで弁護士の言葉による二次被害が少なくないことを学んでいたからか、「これを聞いて良いのだろうか」「どう答えたら良いのだろう」と考え過ぎてしまい、固まってしまうような場面も見られました。

被害者の気持ちと同じ気持ちになることはできません。なぜなら、その被害に遭ったのは被害者や遺族であって、私たちはその被害に遭っていないからです。
でも私は、その気持ちにできるだけ寄り添えればという気持ちで、話を聞くようにしています。
同じ気持ちになることはできないけれど、できるだけ近づこうとすることはできます。

その姿勢があれば、相手が言われて嫌なこと、どういう言葉を使えば相手に伝わりやすいかということは分かってくるのではないかと思います。ましてや、「お気持ちは分かります。」という言葉は出てこないはずです。

法律相談にマニュアルはありません。法律のプロとして、法律や制度の知識があることは大前提で、あとは人対人のコミュニケーションなのではないかと思います。

法律の専門家として、また人としての成長のため、これからも研鑽を積まなければと私自身も再認識する機会になりました。

犯罪被害者支援弁護士フォーラムシンポジウム

犯罪被害者支援弁護士フォーラムのシンポジウム無事に終了しました。
会場は日比谷図書文化館大ホールでしたが、立見の方も出るほど大盛況となりました。

上川陽子法務大臣の祝辞から始まり、被害者遺族の方らによる基調講演、パネルディスカッションと盛りだくさんの内容でした。

今回のテーマは「裁判員裁判の問題」で、遺体写真を証拠として採用しない裁判所の運用についての問題と裁判員裁判の死刑判決が高裁で破棄され、最高裁も高裁の判断を支持した問題を扱いました。

遺体写真の証拠制限については、写真の証拠としての価値、立証趣旨との関係で写真を取り調べる必要性、裁判員の精神的負担への配慮等について議論がなされました。

また、裁判員裁判の死刑判決破棄の問題については、裁判員裁判の意義、死刑判決の基準、計画性の有無による量刑の変化、刑罰の公平性、裁判官だけの裁判時代の先例を重視する不合理性等について意見が交わされました。

会場からも多くの意見が出され、会場が一体となってその問題について考えるという熱い雰囲気の中シンポが進みました。

遺体写真の証拠制限の問題については、裁判員への負担を過度に気にしすぎるあまり、刑事訴訟法の目的である真実発見がないがしろにされていると思います。

また、裁判員裁判での死刑判決が破棄されたことについては、市民感覚を反映することによって司法に対する国民の理解と信頼を深めるという裁判員裁判を導入した意義を否定するものであって、事案の内容を考えても無期懲役の判断は大多数の国民の理解を得られるものではないと考えます。

シンポジウムの司会は初めての経験でしたが、ただしゃべるだけではなく、段取りの重要性や、突発的な出来事に対応する瞬発力が求められることを体感し、良い経験になりました。